伝統産業「和晒」への思い

和晒は、平成23年に堺市伝統産業に認定されました。
その技術が産業であるとともに日本古来の文化でもあることの証です。
株式会社三共晒、4代目社長・中野泰司社長に「伝統産業・和晒への思い」についてお話を聞きました。

-和晒が、平成23年に堺市伝統産業に認定されました。
中野:

やっと認定されたという思いとともに、これは天然記念物のようなもので、和晒を守っていかなくてはいけないという使命感もあります。

-「守る」とは、継承していくということですね?
中野:

そうです。和晒を必要としてくれている方のためにも、継承していく責任があります。
ただ、和晒の継承は、この会社だけを守ればいいということではないと考えています。

-それはどういうことでしょうか。
中野:

ホームページでも紹介していますが、『和晒』というのは製品の名称ではなく、綿花が浴衣や手ぬぐいになるまでの工程のひとつです。
畑で綿花が作られ、紡績工場で糸になり、サイジング工場で糸に糊づけされ、織布工場で布になり、そして和晒工場で漂白されて、染工場で染められる。そして、整理工場で布がたたまれたり丸巻きされて、商社が販売するという一連の繋がりがあります。
『和晒』の技術は、綿花から整理工場、販売までの横一線の繋がりがあるからこそ成り立っているものなのです。
どれが欠けても成り立ちません。業界全体が、次世代の継承について覚悟と責任を持つ必要があると感じています。

和晒 和晒加工釡出し
-「和晒」を次世代に継承していくために、どんなことが必要だとお考えですか?
中野:

まずは『和晒』とは何か、どんな特長があるのかを知ってもらいたいですね。
今、世の中の主流は大量生産ができる洋晒です。例えばお祭りなどで、せっかくの浴衣の柄が見知らぬ誰かと被っていた、ということが起こるのは、そういう理由からです。
では、『和晒』の特長は何かというと、生地にストレスをかけないよう、手間をかけることで生まれる柔らかな風合いと吸水性です。
この風合いと吸水性は和晒ならではのもので、日本人の昔からの生活スタイルの中で大切にされてきたものです。

-日本の生活スタイルの変化が、和晒のニーズにも変化をもたらしたんでしょうか。
中野:

そう思います。
けれど、和晒の小巾織物がなくなることはありません。必要とされる場所があるからです。
だからこそ、伝統的に続いている「和晒」とはどういうものかを、改めて多くの人に知っていただく必要があると考えています。
※小巾織物:手ぬぐい・布おむつ・寝巻等を作るための小巾の生地です。昔から日本に伝わる織物のことです。

-和晒について知っていただくと同時に、三共晒として目指す姿とは?
中野:

今の生活スタイルの中で、和晒にできることは限られているのかもしれません。それでも三共晒は『より良い晒技術を』と今後も考えていきたいと思います。
三共晒では創業から四代に亘る現在も、晒の工程で使用する薬剤の投入のタイミングや、釜で焚く時間の微調整を常に追求し、独自のレシピを作っています。
培ってきたもの一つを信じて、格好悪くても続けていくことが伝統産業であり、現状に甘んじることなくトライを続けることが、日本の伝統を次世代へ伝えていく我々の責任だと考えています。

-ご自身は4代目社長でいらっしゃいますが、小さい頃からこの仕事を継承しようと思っていたのですか?
中野:

考えていませんでした(笑)。父からは『のちの社長や』と言われていましたが、周囲が『当然、あとを継ぐのだろう』と思っていることに抵抗がありました。ここ(工場)では小さいころ、仕事の様子を見ていたり、よく遊ばせてもらったりしましたよ。近くの川が氾濫すると工場にも水が流れてくるのですが、その水が引いたあと、工場の床にカメだけがたくさん残って、それが楽しくて。まさかここで働くことになるとは思っていませんでした。

-あとを継ごうと決めたのは、なぜでしょうか。
中野:

最初は別の会社で働いていました。けれど『いつまでできるかわからへんから、戻ってきてくれへんか』と珍しく少し弱気に父が言ってきたことが後押しになりました。
物心ついた時には『代々続いているものをここで終わらせるわけにはいかないな』と自然と思っていましたから『最後はここに来るんだろう』とは感じていましたね(笑)

-実際に三共晒へ入社してみて、どう感じましたか?
中野:

以前の会社と比較にならないほどの重労働でした。こんな原始的にキツイ仕事が今の時代にあるのかと。
昔から『忙しそうだな』とか『職人さん、大変そうだな』と見て知っていたようでも、それはほんの一部分。
従業員さんはどうしてこんなに大変な仕事を続けられるんだろうと思いました。

和晒加工 和晒加工
-入社して3年後に、先代から引き継いだわけですが、その時はどんなことを思っていましたか?
中野:

入社当初は、日々のことだけで精いっぱい、この会社のことで精いっぱいでした。
先代から引き継ぐ時にあったのは、ただ『ここで終わらせるわけにはいかない』という使命感と覚悟でした。
先代である父には『引き受けるからには精一杯のことはやらせてもらう』と約束しました。同時に『それでどうにもならなくなった時には許してほしい』ということも言ったと思いますが、『いつでも辞めたらええと言ってるやろ』と言われたのを覚えています。
『継承していく責任と覚悟』を持って、自分の精一杯を尽くして残していこうと、心に決めています。

-次の世代への継承というのは「この重労働をなぜ従業員は続けられるのか」と中野社長が最初に思ったことの答えとも繋がりそうですね。
中野:

そうですね。『和晒』は重労働で、力だけでなく持久力も必要で大変です。
三共晒では、幅広い年齢層の従業員がこの作業に従事していますが、この重労働の原動力となっているのは「和晒」技術が、美しい小巾織物の付加価値の部分を担っているという誇りです。
大量生産の「洋晒」にはない付加価値は、日本の生活スタイルの中で大切にされてきた伝統で、私たちが真面目に仕事をしなければ成り立たないものなのだという責任感と誇りが、この重労働の原動力です。

-最後に、伝統産業に携わる三共晒が大切にしていること、晒への思いなどを聞かせてください。
中野:

今年(2014年)に「三共晒の約束」18項目を、従業員全員で決め確認しました。
特別なことが書かれているのでなく、人としての在り方のようなものばかりですが、これが守れなくなったら会社は続けていけないという、私をはじめ従業員全員の覚悟です。
伝統産業「和晒」を次の世代へ繋げていくために必要なことは何か、答えは見付けられていません。
ただ、私が大切に考えていることは、会社にとって一番は「人」だということです。
三共晒の従業員はもちろんのことですが、綿花から布になるまでの業界内の繋がり、ひたむきに作業をする三共晒の社内の繋がり。
「信頼」というベースをもとにした、この横と縦の繋がりが、伝統産業を次世代へと継承していくのだと信じています。

-約300年も前から日本人の生活の必需品であった小巾織物を作る晒。
多くの人に、日本の世界に誇る文化であることを知っていただきたいですね。今日はありがとうございました。